リトリート×仕事で、めっちゃ遠くまで行ってみた その②働くって、なに?

「リトリート×仕事」、4泊5日の「福岡編」の第2弾です。

◆第1弾 福岡に出発するに至った経緯はこちら
リトリート×仕事で、めっちゃ遠くまで行ってみた その①環境の選定、そして距離

リトリートとは、「隠居・避難」「隠れ家・避難所」の意味を持つ言葉です。またデジタル大辞泉によると、リトリートとは「仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係にひたる場所などを指す」とのこと。

この「日常生活を離れ」という文言からは、ともすれば「単に山や海・高原などの施設に行くことが目的」と解釈をしてしまわれそうですが、リトリート環境で仕事の成果を出そうと思うなら、その考えはいったん捨ててください。単に自然に囲まれることで生産性が上がるというほど、リトリート×仕事は単純ではありません。

柔軟に!
既成概念を捨てて!
仕事を面白くするために体を張る!

今回も、様々な角度から「リトリート×仕事」を検証してみたいと思います。

 

博多駅から1時間をかけて到着した「非日常ハウス」

福岡へ行くことに決めた本田は、食料の詰まったキャリーケースとともに新幹線「こだま」に乗車したわけですが、こだま利用には、価格のほかにも理由がありました。

・距離を体感し、非日常感をアップさせるためにも、あえて移動時間を長くしてみる
・Wi-Fiが繋がらず、仕事環境の整っていない山陽新幹線(失礼!)で、あえて何もしない時間を過ごしてみる

今回のリトリートは「自宅から遠く離れることの効果」の検証でもありますから、「こだま」の条件はベストでした。そして本田は車窓からの夕暮れを眺め、日が暮れてからは読書をし、約4時間半の「ワープ」を楽しみ、22時に博多駅に到着。そこから地下鉄に乗り換え、揺られること30分、さらにタクシーに乗って10分。今までの人生で一番遠い場所にたどり着いたのでした。

到着した晩は、とにかく疲れていたためお風呂に入り就寝。
翌朝から本格的な「リトリート×仕事」に取り組むことにします。

さて、今回本田が4泊したのはこんな「貸切の離れ」です。

決め手は、キッチンと程よい田舎感。到着時は夜だったためタクシーを利用しましたが、てくてく坂を下ると徒歩15分ほどで駅に到着、大きなイオンがあります。その割には静かで、駅から離れると古い民家が並び、道の両脇には田畑が広がる…という、絶好のロケーションでした。

荷物を整理し、持参したものを洗面所やキッチンに配置、お仕事体勢を整えて、朝ごはん。網戸の外からは、小鳥の鳴く声しか聞こえません。その日からSNS絶ちに入っているため、スマホを遠ざけて、コーヒーの香りに集中します。しかし、リトリート先に到着してホッとしたはずなのに、なぜか頭の中は落ち着きません。

「私はいつから、わざわざ決断をしないと五感に集中できなくなってしまったのだろう」
「使わなくていい時間まで、スマホを見てしまうのはどうしてだろう」

コーヒーを飲み終わってもまったく仕事には集中できそうになかったため、しばらく思考を遊ばせることにします。

 

スマホの功罪と、働き方について

リトリート×仕事に取り組むようになってから、本田の個人的な課題は「デジタルデトックス」だと浮き上がってきました。そして一時的にでもスマホから離れることで、いかに脳を自由になり、アウトプットの質が上げるか…という事実も、今までのリトリートの経験で充分に分かっていました。

しかしリトリートから日常に戻ると、あっという間にスマホ漬け・SNS漬けになってしまいます。これは本田の基本業務が「ライティング・マーケティング・SNS運用・メルマガ配信・HP作成」などの、スマホやPCから離れては成り立たない種類のものである以上、仕方ないかも知れません。

とはいえ、それにあぐらをかいた上で「デジタル機器から離れないと、生産性が上がらないよぉ〜」と駄々をこねていては本末転倒です。

そして、このご時世、デジタル機器からの切り離しがいかに困難かも理解しています。だって、スマホは「便利」を超えて「面白い」から。手の平におさまるサイズの機械が、無限のエンターテイメントを発信してくる。年齢や宗教を超えて普及し、手にした人々を虜にするスマホの中毒性は、アルコールを超えているでしょう。

「私はいつから、わざわざ決断をしないと五感に集中できなくなってしまったのだろう」
「使わなくていい時間まで、スマホを見てしまうのはどうしてだろう」

思考はぐるぐる回ります。

 

管理は、閉塞的なメリットも生む

本田が正社員として勤務するのは、株式会社Flucleで3社目です。1社目には10年、2社目には5年勤務しました。そして、この初めの2社と、現在の3社目とには大きな違いがあります。それは、「管理される大会社」と「自由なベンチャー」という違いです。

初めの2社では接客・店舗管理・営業という「人前に出る仕事」に就いていました。そのためPCを使う仕事はほとんどありませんでしたし、「デジタルスキルよりも現場が一番」という価値観を徹底的に叩き込まれてきました。また業務中は当然ながら「管理」されていますから、上司の前でスマホをいじることなどありません。そのため生活の中でのスマホ・PCの優先順位は低く、PCは持っていても開くチャンスも少ない…という日々。

そんな状況では、スマホは「有効な息抜き」の手段であり、決して中毒には陥っていなかったのです。

しかし今は、良くいえば「自立」、つまり「野放しと適当なバランス」をポリシーとする自由気ままなベンチャーらしい勤務体制の中におり、勤務時間も自分次第、その中でいかに情報収集の精度を上げ、クイックレスポンスで仕事を回すかが重視されています。そして、手の中には常にスマホがあり、どこかに座るとすぐにPCが立ち上げられる…というフットワークの軽さも必要です。

つらつら考え、気が付きました。

「ああ、私は、仕事で管理されなくなってからスマホ中毒になったんだな」

なんて単純な結論!

仕事で必要、という言い訳はいったん外へ出しておいて。自由に使える立場になると、好きなだけ自由に使ってしまう。その結果、デメリットの部分も際立ってくる。単にそれだけか。

しかし、私は二度と「管理される勤務体制」に組み込まれたくはありません。どんなに高給であってもです。となると、「スマホ中毒から抜け出るために、管理される」のではなく「自由な働き方をキープするために、自律する」行動は正解なのです。

「どうしてリトリートのときしかデジタルデトックスができないのだろう」と嘆くのではなく、「日頃の垢を落とすために、定期メンテナンスとしてリトリートに行こう」で、正解なのです。

「これで合っているんだ」

そう思うと、急に気がほぐれました。夜までSNSは遮断して、この隠れ家で、自由に仕事をしよう。

 

世の中の「当たり前」を再確認する

リトリート先で仕事をするときは、だいたい1時間で区切りを付け、数分の休憩を入れます。

オフィスや家で仕事をしていると、電話が鳴ったり、ちょっとした家事をしたり、来客対応をしたり…と、それなりに気のそれる瞬間がやって来ます。しかしリトリート先の時間は、100%、自分だけのもの。何しろ私がいる場所は、社内含めて世界の誰も知りません。そして、スマホを見ない以上、邪魔が入る余地もありません。

だからこそ余程ノッている場合以外は、1時間ごとに休憩を取り、ちょっとテラスに出てみたり、お茶をいれ直してみたり、深呼吸をしてみるのです。

デジタルデトックスについての迷いがなくなってからは、いつもより集中の度合も上がりました。やはり邪念を払っておくことは必要なのです。(ますます、「邪念製造機」であるスマホの功罪について考えざるを得ませんね)

夕暮れ時、買い出しに出ます。キッチンを点検し、持参したものと不足しているものをチェックします。4泊で、買い出しはこの1回だけと決めていました。毎日イオンへ行っていては、せっかくのリトリートに生活感が溢れてしまうからです。

のんびりと歩いていると、急に「世界はシンプルだし、やっぱり美しいな」と感じました。初夏にぐんぐん伸びている田舎道の雑草も、遠くの山の端にかかる宵闇の雲も、電気の灯り始めた住宅街も、当たり前に、美しい。

日頃はジャンクな情報がどんどん頭に入ってきて、それを仕分けし、選び、対応することに必死になっている。その中には、選択肢にすら入らない、ネガティブな要素を持つものごともたくさんある。しかし、世界はもっとシンプルで、「わざわざ情報を入れない限り、基本的に、ポジティブなことで満たされている」。

これに気付き、時々でいいから、当たり前にポジティブな美しい世界に身を委ねる。そして溜まったジャンクな情報をデトックスする。これこそが私にとっての「リトリート×仕事」なのだな、と改めて気が付いたのでした。

 

沈没・集中の2日目、そして3日目の行き先を見つける

2日目は、予定通り部屋に沈没したまま仕事を進めました。

朝ごはんは、ルイボスティーとアスパラガスビスケット。

ランチは、持参したイナバのタイカレー缶と、湯通ししたルッコラとトマト。なかなかに充実しています。これも、キッチンが整っているおかげです。

BGMは、全日通してショパンをかけていました。最近いろいろ試しているのですが、クラシックをかけながら仕事をするのならば、今のところショパンのピアノ曲がベストです。

完全なる自分の時間、集中して仕事に没頭できる、静かな環境。

これは、想像以上にいい感じではなかろうか…。

おかげでアウトプットもどんどん進みます。この日はデザイン的な作業も多かったのですが、いつもなら「あと何時間で仕上げよう」などと区切るような焦る作業も、「気が乗ったら、いつまででもしてもいい」と思えばこそ、こだわりを発揮できます。これはなかなかに気持ちがいいもので、日頃のように「あーーっ!こんなことにこだわって、1日過ごしてしまった…」という罪悪感を覚えることなく、クリエイティブな作業に没頭できるのです。

そして、逆説的なことですが、「いつまででもしてもいい」と思うような作業こそが、いい仕上がりで、程よい時間に終わる。これも、熱中しつつも楽しみながらアウトプットが進むという、リトリートの効果ではないでしょうか。

そして、部屋での仕事にちょっと慣れてきて、集中力が途切れてきたとき。

部屋に置いてあったファイルの中で、見つけてしまったのです。

「海の見えるコワーキングスペースをご紹介します」という案内を!!!

 

海が私を呼んでいる

前記事をお読みいただいた方は覚えているかと思いますが、今回本田は「海の見えるリトリート先」を散々探して、挫折しています。

一回諦めたのでまったく未練はありませんでしたが、そうなると海の方から寄ってきたようで、案内を見るに一駅隣の海のそばに、超絶オシャレなコワーキングスペースがあるらしい。これは行かなければ!と、早速翌日のドロップインでの予約をします。

はからずも、「静かな離れでの2日間」&「海を見ながらの1日」という合わせ技が決まり、「遠くまで来たかいがあったもんだ」とご満悦な2日目の夜を過ごす本田でありました。

念のため付け加えておきますが、リトリート×仕事は、決して修行でも、強制されたカンヅメでもありません。夜はPCをたたみ、ジャズを流しながらゆっくり読書などをします。その日の小さなストレスはその日のうちに解消し、翌日は早めにスッキリ起きる。そしてまた最大限の仕事をする。という、(本来は日常でもできていなければいけない)セルフメンテナンスのための時間でもあるのです。

だからこそリトリートは、「会社に束縛されない働き方」が主流になるにつれて全ビジネスパーソンに求められる、「自立・自律」のためのプログラムであると考えています。

自由だからこそ、自分を解放する時間も、自分を縛る時間も、自分で作り出さなければならない。「嫌」も「楽しい」も組織から与えられている受け身の仕事スタイルに慣れきって、それに対するグチをいうことでしか自分をコントロールできないようでは、これからの社会の変化についていけない時代が来るのでしょう。

次回の記事では、福岡3日目、海の見えるコワーキングスペースでの仕事についてをレポートします。
楽しみにお待ちください。

 

 

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