リトリートと仕事は両立できるのか その③デジタルデトックス

【リトリート】
隠居。避難。また、隠居所。隠れ家。避難所。
仕事や家庭などの日常生活を離れ、自分だけの時間や人間関係に
浸る場所などを指す。
(デジタル大辞泉より)

 

社員を会社から6日間隔離し、生産性が上がるかどうかを検証する人体実験、「リトリートと仕事は両立できるのか」の第3弾です。

過去記事はこちらから
その① プロローグ
その② 準備編

1日目、午前中はもろもろの準備に追われました。数日内に予想される社内・社外との連絡の前倒し、急がないけれど頭の片隅に引っかかっている細かいタスクの完了、持って行く本選び…

それから、一番大切なデジタル(SNS)デトックスのための準備です。

①スマホの「アプリの通知」をすべてオフにする
②PCのブックマークバーから日常使うものを削除する

Facebook、チャットワーク、YouTube、Twitter、とにかく「毎日使っているページ」にすぐにアクセスできないようにしてしまいます。

そして簡単なルールを決めます。

①SNSやメールは1日1回まとめて確認し、緊急度の高いもののみすぐに対応する。
②社内には聞かないと仕事が進まないこと以外連絡をしない。
③電車・カフェ等の隙間時間でのPC/スマホ使用禁止。
④自分の「五感」を積極的に使い、感じ、分析する。

これすらできなかったら、私の脳はだいぶ「便利さ」に侵されてしまっているのでしょう。

12:00になりました。おりしも晴天、いざ出発。

 

初日のミッションは「仕事をしないこと」

1日目の行き先は奈良県・飛鳥。ここは自宅~会社間とほぼ同じ距離で到着できる、そのわりに現世との隔絶感が半端ない悠久の地です。
電車の中ではバイブルである和辻哲郎「古寺巡礼」を数年ぶりに読み直し、大正時代の峻烈な文章に襟を正します。
知性における熱心さ、得た知見を力強く発信する力、それがあればらネットなどなくても「感動の熱」は後世に受け継がれる。そう確信できる文章は、スマホから離れたばかりでまだ少しそわそわしている私に覚悟をくれました。

駅前のコインロッカーにキャリーケースを放り込み、歩き始めます。初日は仕事を一切しないと決めていました。
やるべきは、「脳をリトリート状態までソフトランディングさせる」こと。肉体の環境と同時に脳内環境もしっかり変化させないと意味がないからです。

飛鳥は何度も歩いた地です。知らない土地で珍しいものに気を取られたり観光気分になることを懸念しての選択でした。
また「くにのまほろば」としての飛鳥は、今回完成させて帰りたい仕事の内容に密接に関係しており、今一度しっかりと歩いてみたかったのです。

 

自分の五感を信じろ

冬枯れの飛鳥はほぼ貸切状態で、歩きながら心に浮かんだ言葉を感覚に紐付けてひとつひとつ点検していきます。たとえば「今日は暖くて助かった」と思ったなら、「暖かいとは、身体のどこが受け取っている感覚なのか」と確認していく作業です。

天まで細く伸びた竹林を通るとき、遥か頭上で「さわさわ」と竹の葉が風に揺れてこすれる音がします。当然竹の根元部分はどっしり地に根付いていますから、音はしません。私の耳はかなり上から降ってくる音をキャッチしています。
しかし地面近くからは、まるで春を連れてきたかのような「ちちちち」という小鳥の鳴き声が聞こえます。私の耳は「高い空からの竹の葉音」と「地面すれすれからの鳥の声」を同時キャッチしているのです。

側道の水路に勢いある水の流れがあると、水音で鳥の声がかき消されます。カーブを曲がると急に視界が開け、アースカラーの「古代の風景」が目に飛び込んできます。

では今私の「視覚」は飛鳥の冬枯れた田畑を見て、「聴覚」は水音を捉えていますが、それ以外の「嗅覚・触覚・味覚」は動いているのか?もしかしたらこの世界にはかぐわしい香りが満ちているのに、感じられていないだけではないか?

鼻をクンクンさせてみます。残念ながら特に何も匂いません。「冬の香り」はします。湿度中にねっとりとした甘さのあるような夏の香りではなく、鼻の奥をつんと刺激する、かといって決して不快ではない清涼感のある冬の香りです。

しかしこれはたとえば「梅の花の」「ターメリックの」という具体的な香りではありません。するとこれは私の経験則が脳にイメージさせる妄想の香りなのでしょうか。この「妄想的冬の香り」は、五感(嗅覚)が受け取ったものに分類してはいけないのでしょうか。だんだん難しくなります。

日本史の苦手な私でも、飛鳥にかつて朝廷があったと知っています。日本の「国家」が形作られたゆかりの地のこの風景は、持統天皇や大津皇子が見たものとさほど変わりはないでしょう。では私と大津皇子が感覚を共有することはできるのでしょうか。

視覚が感知した風景には「家がある」「山がある」などの事実があります。その存在なら、他人と共有はできるでしょう。しかし感覚の共有は困難と思いました。なぜなら私と大津皇子が同じ山を見ても、同じ感想を持つとは限らないからです。もし似た感想を持っても、どのような言葉として発するかによってそのイメージは大きく変わります。

発信時、決して自分以外の人の感覚はあてになりません。当然ネットの情報も一切役には立ちません。
自分の五感を、信じるしかないのです。

日本人は古来から、自然を詩歌に詠みました。改めて、数人が同じ風景の歌を詠んでもひとつとして同じものがない、という事実に驚かされます。

日本人は、自然から何を感じ、何を掴もうとしたのか。

ひたすら自分の感覚についてあれこれ考えながら、田舎道を歩きます。別に大発見がしたいわけでもありませんし、何かを解決する必要もありません。しかしぶつぶつ脳内で言葉をひねくりまわしていると、感覚のアウトプットに集中しているときの、「あ、」という瞬間の閃きが心地良く感じ始めます。脳が伸びをして「もっと、もっと」とじゃれついてくるようです。

都会の中でデスクに向かってるときには、なかなか脳を遊ばせてあげていなかったんだな…

「時間が無い」「忙しい」「何時までに」なんて言っているとだめだな…

反省。

 

聖徳太子に学ぶ、ミッション&ビジョンの大切さ

ほとんど村人にも会わないまま、聖徳太子生誕の地・橘寺に立ち寄ります。
青空には、2カ月後をワクワクさせてくれる、まだ固い桜のつぼみが散りばめられています。

お堂に入ると急に嗅覚がフル回転し始めました。お線香の香りです。揺れるロウソクの炎とお線香の煙のゆくえを眺め、聖徳太子に手を合わせます。

「和を以て貴しと為す」で始まる聖徳太子の国家作りのビジョンは、最近になって「単純なようで、ものすごく難しい、高い理想を掲げている」と分かるようになりました。

なんだかんだで日本という国家が「成功モデル」だとするならば、それは「和以貴為」という四文字のミッション&ビジョンがしっかりしていたおかげでしょう。

飛鳥時代の日本を創業間もない企業と考えると、聖徳太子はかなり大それた施策を打っています。

「うちのミッションは調和と公正な論議です」なんていって今までにない価値観を打ち出して起業し、となりにあった世界的ビックネームのノウハウを吸収してから独立宣言をし、律令・典礼などの各種社内制度をサクッと構築し、仏教を移入してイノベーションを起こし、それを全国にアッと言う間に普及させ、言語体系をまとめあげ史実を編纂し、1300年以上も続く社会インフラを整えてしまったのですから…

起業家の皆さん!飛鳥には学ぶべきモデルがたくさん残っていますよ!

 

半日で気付いた、脳のサイン

さて、私のデジタルデトックスですが、思ったよりスムーズに「スマホを見ないこと」にはすぐに慣れました。
やはりポップアップを消してしまったのが効いています。実際は歩きながら写真を撮ったり音声メモを使ったりと時たま手にはしているのですが、特に「何かを見たい・調べたい」という欲求は生まれません。

それよりも脳内で思考することに「ノッてきた」感じが心地よく、とにかく休みなしで散策を続けます。ただし、疲れは出てきました。実は初日は「仕事をしない」「脳をリトリート状態にソフトランディングさせる」と、もうひとつ「肉体的にも疲れておく」という目標も定めていました。脳も体も、いつもと違う疲れ方をしたらどうなるだろう?と思ったためです。

夕暮れまで歩き、宿へ向かいます。この夜は飛鳥の貸切古民家で、明日からの本格的なリトリート環境での仕事に向けて心身の点検をし、大量に持って来た本をどんどん読んでいく予定です。

しかし、計画通りの充実した夜は過ごせませんでした。持ち込んだ簡単な夕食を食べ、湯船につかって出てきたらもう何もする気が起きません。いつもなら隙間時間にはスマホに手が伸び、ネットニュースを見たりするのでしょうが、それは禁じられています。

そして、本もあまり読みたくない。脳が「もう今日は情報インプットいらないよー」とカギを閉め始めたのがリアルに分かりました。そうかそうか。今日はもう疲れたか。そうだよね、お昼12時までは仕事をさせられて、その後はいつもとは違う脳内筋肉をむりやり使わされて。

いつもは、脳の「もう十分だよ」というサインを無視し、いかに強引にジャンクな情報を流し込んでいるかも改めて感じました。ネットからの情報に限らず、耳に入ってくる会話、電車の中吊り、コンビニ商品の宣伝文句…何から何までです!

これをある程度遮断することで、たった半日で脳の声が聞こえるようになる。
人体実験の結果それが分かっただけで、1日目は十分であろう。

念のため寝る前に芥川龍之介の短編集を開いてみましたが、無理でした。彼の文章すら受け入れ不可能になっているということは、よほどの疲れなのでしょう。おやすみなさい。

 

デジタルデトックスの落とし穴

今回は、仕事と両立するというミッションがあるため、完全なるデジタルデトックスは不可能です。しかし仕事をしない完全なるリトリート研修ならば、スマホは回収し、完全にデジタル機器から離れることも可能です。
中途半端に持っているとどうしても見たくなってしまいますし、持ち歩くと充電などの手間ひまのたびに現実に引き戻されるため、やはり完全遮断がおすすめです。

また「しまった!」と思ったのが、アラームです。スマホから離れようとしているのに、アラームのためにスマホを枕元に置いて寝ざるを得なくなる矛盾。そしてスマホに起こされ、手に取ってアラームを止め、いつものクセで天気やニュースのポップアップをタッチしそうになって…「いやいや!こういう行動から離れるために来たんだから!」とスマホを遠くに押しやる…

朝からそのような無駄な行動でテンションを下げないためにも、リトリート先にはトラベルウオッチの持参をおすすめします。また同様に、デジカメ・ICレコーダーなどがあるともっとスマホに頼らずに行動ができます。

それにしても朝の飛鳥は神々しい。

最高に美味しい朝食をいただき、チェックアウトします。
ありがとうございました!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回の企画は、コンクリートの部屋の中に押し込まれながら、その環境から生み出すのは至難の業である「効率」「生産性」に真剣に取り組んでいる、勤勉で愛すべき全ての日本のビジネスマンに送るものです。

環境を変えることで受け取れるビジネス上の恩恵は、はかり知れないものがあります。

本当に「そこでしかできない仕事」もあるでしょう。しかし、もしそうではないのに慣習や固定概念に縛られて動けずにいるなら。脳の、わたしたちの、未来の可能性を遮断しているのと変わりません。

また仕事は抜きにしての純粋なリトリート体験には、もっと得難い効果が期待できます。リトリートとはリラックスのために行うものではなく、自分の野生・シャープさを取り戻す行為でもあるからです。

次回は、「いよいよ腰を据えて仕事をしてみたらどうなるか」についてレポートします。

 

 

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