日本文化講師インタビュー② 民謡指導家 児玉宝謹先生

「日本文化で人の力を最大化する」株式会社Flucleでは、様々な分野の講師と手を組み、社会人向けの体験・研修プログラムを生み出しています。

この連載では、日頃ご協力いただいている講師の方々に、その生い立ちや想いをインタビュー形式で語っていただきます。第2回目は、社会人向け和楽器教室をお願いしている児玉宝謹先生にお越しいただきました。

児玉先生はどのような環境で育ったのですか?

神戸生まれ神戸育ちです。音楽が子どものころから堪能で、幼少時代から絶対音感がありました。小4からエレクトーンを習い、中学高校の6年間は吹奏楽でトランペット、高校の時は指揮者もしていました。
家では父が結婚前から民謡を趣味にしていまして、常に何本かの尺八が転がっているような家でした。日曜日になると父はホールなどの発表会に出演しており、私もそのようなイベントには子ども役として出場させられていました。

和楽器は、最初は和太鼓から始まったのですが、三味線や尺八も普通に手に取れる環境にありました。しかし和楽器をやろうとは思いませんでした。

それはどうしてですか?

なんか…そのころ、民謡は程度の低い音楽だなと思っちゃっていて…。
僕は、叔母が買い集めていたボストンポップスオーケストラのレコードなどを聴いているような子どもだったんです。民謡と洋楽が混ざらずに同居してるような環境で育ちましたけれど、やっぱり洋楽の方が好きだったし面白かったですね。

洋楽にはまった青春時代、お父さんに和楽器を強制されたことは…?

全くなかったです。好きなことを好きなようにやれば良いと言われていました。しかし22歳の時に父が亡くなり、あとを継ぐことになりました。

父の亡き後も、継ぐ気は無かった

実はまだ父がいるときですが、大学を落ちたんですよ。そして今で言うフリーター、プータローのようになってしまいました。父は僕が高校のときに肝臓癌になっていたのですが、そのときに父のお弟子さんが空月謝を払って会を支えてくれていた。そして僕がプータロー時代にまた父が倒れ、そのときは僕ももう成人していたので、代稽古に出ろと言われていたわけですね。

その後父が亡くなって、お弟子さん達からは会を継げ継げと言われました。でも僕としては、継ぐ気が無かった。そういうのは会ではなく人につくものだと思っていたから。「皆さんは父に習いに来ていたのであって、息子だからと言って跡を継げるほど簡単な世界ではないでしょう。僕も就職しますからここでやめておきましょう」と言ったんです。

継ぐことを決意するキッカケ

実は、お弟子さんのつてで就職が決まっていたんです。そこに行くつもりで連絡待ちの状態だった。しかし、とあるお方が僕の状況を見て「何ができんねん、楽器がどんだけあんねん」と聞いてきた。そこでできる楽器と、父の残した楽器や資料について話すと、その方が「だったらやらんかい」と。

それから、急に僕の体が変調をきたしました。動悸、息切れ、めまい…まるで精神錯乱。わけがわからず苦しみました。就職先からは何の連絡もなく、とうとう3週間が経ったとき「なにくそ、やってやる」と決断しました。実はそのとき、ものすごいタイミングでいろいろなことが起きてて…ひとつでもずれていたら、こうはなってなかったんです。だから、ああ、僕は跡継ぎの星のもとに生まれたんだな、と。

そして、残ってくれていたお弟子さん達には「できるところまでやらせていただきます。よろしくお願いします」と申し上げて、決まりました。

その体調不良はストレス的なもの?それとも、もっと不思議な何かでしょうか

不思議な何かでしょうね。なぜなら「継いでやる」と決断したときから、苦しみがすっと消え、また全ての楽器がスルッとできるようになっていたので。それを人に言うと「それは先代が入らはったんやわ」と。

まぁ…何かはわからないけれど、確かにここまでいろいろな楽器ができて、なおかつ指導もできているというのは、僕がしているのではなく、僕の体を借りて何様かがなさっていることだと常に思っています。

決断のときに残ってくださったお弟子さんはどれくらいでしょうか?

30人ぐらいですね。そこから増えて、95年の阪神淡路大震災の直前時点で60人でした。そのころには民謡ブームは終わっていましたが、皆さまが力になってくださいました。

そこから神戸の教室で30年近く教えていらっしゃるんですね

実は僕は震災で自宅が全壊しまして、3年だけ播州赤穂の方に転居して、通いで教えていました。また民謡というのは景気がいいときに流行るものなんです。だから震災までは良かったのですが、リーマンショックの後などは本当に辛酸を舐めました。一時はパートタイマーに出るような時期もあったんですよ。

年配の生徒さんが多いと聞きますが、始める動機はどのようなものですか?

そうですね、生徒さんは60代でも若い方です。それより上の世代の方は、戦争をくぐっています。そして戦争が終わった後は高度経済成長期で働きづめ。だから今ようやく自分の時間とお金が使えるようになって、昔やりたかったこと・やっていたことをもう一度と思って入って来られる方がほとんどです。

そして皆さま、ちゃんとお着物を着て、歌を歌ったり演奏したりできるようになっていくので…やりがいがありますし、そのおかげで指導手法も身についたんです。

高度成長などが昔話になる時代が来ますが、今からの世代のお稽古へのモチベーションはどこから来ると思いますか?

「自分のやりたいことは、今やっておこう」ということでしょうかね。「お金を貯めとく」とか「保険をかけとく」っていうのは、人生にネガティブなレールをわざと敷いているように思えます。今の積み重ねが未来になるわけだから、今やりたかったら今やりなさいと。若い方々にはそれを強く言いたいですね。先に伸ばしたって何が起こるかわからへんから。

若い生徒さんも増えてはいますか?

増えつつあります。やはりモバイルや、バーチャルの存在が大きいですね。遠くにいる方でも簡単にバーチャルレッスンができるというのは、大きな進歩です。

Skypeレッスンをされている民謡・和楽器の先生は少ないですよね

少ないと言うか…この業界にはほとんどいないですよ。

Skypeレッスン以外に、「他の人はやっていない」先進的な指導の例は?

まずうちは、先代のころからリクエスト制なんです。やりたい曲は何?ってこちらから聞く。すると、まだイロハも知らないうちから「この前テレビで聞いたあの曲がやりたい」などのリクエストがきます。

なにげに難曲のこともありますが、そのリクエストには応えます。これは他の先生とは全然違うスタイルでしょう。また僕が楽器を全部できますので、「違う楽器やってもいいですか」という要望もOKです。これも他の流派には無いでしょうね。たとえば津軽三味線を習いに行ったら津軽だけ、違う楽器をやるなら別の先生のところに…というのが普通ですが、うちは、うちで完結している。これはアドバンテージでしょうかね。

ギターとハーモニカが気軽にセッションするようなことが和楽器でできなくなったのは…つまりストリートから和楽器が消えたのはどうしてでしょうか?

気軽なセッションとか、自由な演奏とか…そういうことをしていいのは、今の家元制度の中では名取とか師範など、相当上までいかないとできないのでは?

でもそれは、その会の中だけの決まりでしょ。僕は弾ける人は弾けばいいと思うのですが。

あとはドレミ互換法ですね。洋楽のドレミとリンクできると、コラボでも何でもできる。和楽器で洋モノやれたら、さらに楽しいですよ。

和楽器をすすめても「楽器経験が無い」と一歩引く人が多いのですが、それに対して「大丈夫だよ」と伝えられるアンサーはありますか?

歳は関係ありません。子どもが興味だけで「ピアノやバイオリンを習いたい」というのと同じなんですね。だから「やってみたい」だけで大丈夫ですよ。しかし、いつからこんなに敷居が高くなってしまったんですかね。

きっと、洋楽が入ってきたからこのままではアカんと、敷居を上げたんでしょうかね。

洋楽に対抗したんですね

今も家のどこかにピアノやギターが転がっていることがありますよね。大正までは、お三味線などが普通に家にあったんです。だからもう少しそんな環境が普通になればいいなとは思います。

ギターなら下手でも皆の前でポツポツ弾くのに、三味線でそんなシーンは見たことがない。そのような若い世代に、何かひとことお願いします

若い人と言うよりは、まずはお師匠さんたちが考えを変えたら!?と言いたいです。

楽器買わなあきません、お着物着なあきません、入会せな教えませんではなく、もっとYouTubeにどんどんデータアップするとか、着物にもこだわらないとか。そもそも着物って非合理的なんですよ。演奏しにくいし、お金もかかる。

楽器も、実は国内に古いのがいっぱい眠っている。新品を買わせるだけではなく、それらをリメイクして、どんどんレンタルするとかしていきなさいよ。

それから、お稽古の入口出口をしっかり定める。どうすれば目標達成できるか、学んだあと何ができるかを明示してあげる。そしてそれを約束したなら、きちんとそこまで持って行って卒業させてあげる。

卒業、つまり手放すことも大事です。以前、お茶の先生に「3人くらいタイプの違う先生に習わないと、お茶のことが立体的に見えてこないから、さっさと卒業しなさい」と言われたことがあります。凄い人だと思いましたね。

つまり、「邦楽」とか「民謡」とか、大きなくくりで人材を見る必要があるということです。生徒さんを自分だけで囲いなさんな、とね。

そのお話、載せてしまっていいですか?

いいですよ笑

ありがとうございました!

とても熱さの伝ってくるお話でした。そして音楽の楽しみには西洋も東洋もない、ということを改めて感じました。児玉先生には今後もたくさんの若い世代に「音楽の楽しさ」を伝えていただきたいと思っています。

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